YouTubeやAmazonの投稿に胸打たれるすぎて穴あいた
そこまで入り込まなくても、、、、あいた胸は自分で埋めてね。
ということで、今回は各種Webサービスにおけるユーザ投稿の中で、独断と偏見で「胸打たれすぎて泣けた」ものを記載します。何度も読み返したくなるものばかりなので、備忘録も兼ねて書いてます。
胸打たれすぎて穴あかないようお気をつけくださいませ。
目次
YouTube:戦場のメリークリスマス
死にたい時期にこれを聞いた
本当に自殺寸前の時期。
生きる意味を失くしたってだけの理由で死にたかった。俺には「だけ」で片付けられる程今まで笑える人生送れてなかったから。父親には殴られ母親には人間の失敗作と嘲笑され学校では教師からの嫌がらせを耐え、同性愛者だと罵られ。俺には行き場が全くなかった。笑うのを忘れ泣くのを忘れ、感情は全く無かったし、今でもあの時の俺は人間じゃないほど生きた心地がしていなかったと思う。そして運命の日が来て、死ぬ直前の時ふと教えてもらった曲を聞こうと思った。本当にふと。最後だし何かしておきたいと思ったんだろうけど。それがこの曲だった。最初はただのそこらにある音楽だなーくらいできいてた。でも途中から何故かなんか急に笑いがこみ上げてきて一人で部屋で爆笑してた。息が出来なくなるまで笑いまくった。その後俺は何してるんだろうなって、見返してやりたいって初めて思って大声で泣いた気がする。親はそれ無視してたけど。死ぬより頑張ろうと思った
次の日女の先生に泣きながら相談したらその先生も泣きながら俺にハグしてきて笑 俺親にハグされたことなかったからびっくりしてんな…でもそれ以上にあったかかったなって思って。
ほんとまあそれだけなんだけど、これ聞いてあったことは。それからいい方向に変わったし俺は俺自身のやりたいことやってる。家出して違う所で金貯めて、一応親にもちょっとは仕送りしてる。たかが曲でもされど曲でやっぱ人間って変わる。失恋、リストラ、なんかいろいろこの世の中あるよな。分かるよ。辛いし辞めたくなるの。でも今日は頑張ろうって思える日が来ると思う。その日まで頑張ろうな。
めっちゃなんか変な話したけどここまで読んでくれたひとありがとう なんかもう泣いて文が上手くまとまらんわ…すまん。嘘やと思ってくれてもええしネタと思ってくれてもええ。でも曲で誰か一人が救われたことは嘘だと思わないで欲しい
https://www.youtube.com/watch?v=ZY5J03EDe9k
同じ立場ではないが同じような経験あるので、気持ちわかりすぎて胸痛すぎ。
Amazon:失敗図鑑
年長の我が子、某プリントを解く教室で今まで「わからない・できない」
https://www.amazon.co.jp/review/R3TGZWYNQ2JOTP/ref=cm_cr_srp_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=4866510595
というのがないままスイスイ進んでしまったため、
小学生の問題に入った途端内容は理解しているのに
今までと違う問題文で何をどうしていいのかわからない、
漢字の書き方を細かく直されるなどなど初めて壁にぶち当たるという経験をしました。
とにかく教室へ行きたくなくて
最初は牛歩戦術や具合の悪いふりなどで回避しようとしていましたが、
終いにはひきつけを起こすんじゃないかというくらいの大泣きにまで発展。
本人に色々尋ねたところ、何度も直しをしないといけないことが嫌だ
最初から全部マルにならないと嫌だとのこと。
できないことや間違えたことを叱責したことはなかったのですが…。
プライドが許さなかったようです。
間違えてもいいんだよ、できなくてもいいんだよ、
わからないところは先生に聞いていいんだよ
たくさん間違えておいで!ナイストライ!!
などなどあれこれ声をかけてみましたが、壁を乗り越えるに至らず、
どうしたものかというところでこの本を発見しました。
絵本とは違う、おもしろいイラストに興味津々。
最初のエジソンの部分や、身近な失敗の部分で
間違える、失敗するということは悪いことではないんだということを理解したようで、
数日してから「失敗してもいいんだよね」とポロッと言いました。
そこから壁をよじ登り始め、行き渋ることがなくなりました。
それぞれのエピソードは、偉人の素晴らしい功績の説明から入り、
どんな「失敗」をしたのか、それをどう乗り越えたのかという流れになっています。
また、最後に押し付けがましくない対処法というか
こういう時はこうしてみたらどうだろう?ということが書いてあります。
ただ偉人の失敗を挙げていくだけではなく、
その偉人の失敗を身近な問題として捉えられるようになっているのが
よくある偉人伝とは異なる部分です。
その文章が上から目線ではなく、そっと寄り添うような感じで書かれているのが
子どもの心に響くのではないかと思います。
この本と一緒にこれからどんどん出てくる
数々の壁を乗り越えていって欲しいです。
プライドが高くて、間違える、失敗するということは悪いこと
間違えたり失敗する自分が許せない!という子に是非読んでもらいたいです。
間違えることが悪いという慣習、学校を中心とした社会のいたるところに見え隠れしてますよね。
失敗を恐れる、それが悪いことだ、なんて頭ごなしにいっても何にも変わりません。
それよりも「みんな失敗から教わってきたんだよ」と言う実例をたくさん、面白おかしく、子供目線で示した書籍が産んだ1組の親子のお話に胸打たれまくりました。
Amazon Kindle:もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか
英語。
言うまでもなく世界で最も広く通用する言語であり、
海外に出向く場合は間違いなく検討することになる代物である。
最近では東京オリンピックの開催、教育カリキュラムの変更もあり、国内でも需要が増していくだろう。
電車内には様々な形で英語の重要性を説いた広告が一つ、二つは見受けられる。
しかし、実態はどうだろう。
いくら詰め込みとはいえ中高で六年もの教育を受け、英語の学習法については色々な媒体で色々な方法が提示されているのにも関わらず、結局は「知らない」「分からない」に行き着いてしまう。
数学や化学といった分野ならまだ分かる。公式や証明については、どうしても専門知識や計算が入ってしまうし、日常生活での接点も少ない(重要なのは間違いないが)からだ。
対して英語はどうか。
日本語と同じ言語である。
当たり前だが英語圏の人は上手下手はあれど、ほぼ確実に英語を話すことが出来るだろう。
どうしてこうも難しいのか。
普段の生活で使わないのは他の教科と同じだが、どうにも毛色が違う気がする。
何か「受け入れることを拒絶している」かのような、そんな違和感だった。
学生時代はそれが嫌でまともに取り合おうともしなかったし、それでも生きていけると思っていた。ところが生憎なことに、仕事で「英語が必要になってしまった」。
仕事終わりに書籍を使って一か月ほど勉強したが、英語力は勉強前と変わらない。
単語、文法、会話表現、何かがおかしいと思いながらも詰め込んでみるが、翌日には綺麗さっぱり消えてしまう。
このままだと恥を晒してしまうが解決策が見えない。
どうしたものかと英語関係の書籍を探してみた時に、本書と出会った。
タイトルと帯にある「英語を話せなかったわけ」に一目ぼれして購入した。
開いて早々、目次の構成でやられた。
要約すると「私たち(日本人)は英語について何も分かっていない」ときている。
これはモヤモヤを晴らす鍵になると期待が高まった。
そしてそれは正しかった。
序盤における定型文しか喋れない主人公は痛々しい。
努力量は間違いなく賞賛に値するレベルなのに、実践となると全く使い物になっていないのだ。
安くはないお金を支払って英会話スクールに出向くが、結果は重苦しい沈黙、あるいは講師の捲し立てで、恥をかく時間ばかり。
おまけに英語教師である主人公には高いレベルの教育が求められていて……
物語の内容自体も面白いし、「英語はこう学習すべきだ」というハウツー部分も頷けるものだった。
ただ、最も心揺さぶられた箇所は、帯にもある「英語が出来ない、そもそもやる気がしない」理由だった。
政治や環境、農業といった小難しい単語は覚えているのに「段ボール」や「とりあえず」といった身近な用語や言い回しが分からない。
語順を無視した(会話では通用しない)英和変換の方法。採点しにくい「発音」や「スピーキング技術」は軽く触れるだけか、そもそもやらない。
英語は得点稼ぎの材料であり、会話用のツールである……
歪だ。そして歪さを何の抵抗もなく受け入れてきた自分がいる。
それは英語を日本語とは違う「非日常」「非実在」の言語として捉え、外国人も日常生活を送り、家族や友人と喜怒哀楽を共にしていることを忘れているからではないのか。
やれグローバルの時代だ、世界と繋がろうと言いつつも、相も変わらず鎖国状態を貫き通しているからではないのか。
現に必要に迫られている今ですら、「英語」というだけで驚くほどに他人事と思う自分がいるのだから。
作中のキャラクターの発言「バカ騒ぎしたい時だけ日本を利用する」という言葉が胸に刺さった。
本書のタイトルであり、物語のきっかけともなる「もしも高校四年生があったら、英語を話せるようになるか」という問いかけこそが、著者の言いたいことのような気がしてならない。
この本を読んでから、私は部屋中のもの、自分がやっていることをひたすら英語に直そうとした。段ボール、発泡スチロール、取っ手、蓋、落書き、入力する、寝転がる、まとめる。ほとんど全部分からなかった。
使うかも分からないビジネス英語ばかり詰め込んで、近くにあるものを、行為を、まるで理解していなかったのだ。
正直、「ここまでとは」と気落ちした。
ただ、今までの勉強における「(結局)分からない」とは少し違った。
まだやっていたい。
自己満足の類だったとしても、英語に関心が持てるのならば、それでも悪くないと思えた。
過去に戻って、高校時代の自分に「もしなる」を与えていたら、英語は楽しくなっていただろうか。
英語を身近に感じるようになっていただろうか。
英語を話せるようになっただろうか。https://www.amazon.co.jp/review/R2BPFIB2VSY76W/ref=cm_cr_srp_d_rdp_perm?ie=UTF8&ASIN=B06WWGXGW3
それは今、「高校四年生」となった私の頑張り次第なのだろう。
少なくとも6年以上、英語を学んでいるにもかかわらず「英語が話せない」
その根底をつく名書籍と素敵なコメント、両方に胸打たれました。
ふりかえり
何かにめげず、立ち向かおうとする人の姿はかっこいい。
純粋にそう思うと同時に、自分も頑張ろうという気にさせてくれる、そんな素敵なコメント集でした。
明日も頑張ろう。